シュタイナー教育は一言で言うと
子ども>カリキュラム
の要素が、とても強いと感じる。
(他の学校や教育はどうなのでしょう。専門化ではないのですべては知りませんが、シュタイナーはかなり強いと思います)
おそらく、世の中の学校はほとんどが
カリキュラム(何を学ばせるか)ベースでできている。
■どんな力を身に付けさせたいか
■どんな人間が社会で求められているか
これらをベースにしているから、
子どもたちそのものより、カリキュラムが前に出てくる。
そして、かなりの確率で、
子どもが置き去りにされ
カリキュラムが第一に大事にされて
子どもにストレスがかかり、
やっても身にならない学び(そりゃ言い過ぎか?)が連続してどんどん降ってきて
息苦しい教育や学校になることが多々ある。
一方で、シュタイナー教育は
最初のウォルドルフ(シュタイナー)学校ができてから、
100年経ったいまでもずっと
社会の要請ではなく、
人間を人間として、自由に生きていくための教育を行っている。
分かりやすく言えば、「幸せに生きるため」
時代が変化しても、
変わらず大事な
人として根底に必要なもの
そんなものを大切にする教育。
だから、100年前の思想でも
ずっと変わらず受け継がれているんだとわかった。
(僕は「100年変わらないってどうなの?」と疑念をもって学び始めたが、今はすごく納得いっている)
シュタイナーは
人間という存在を
人智学(アントロポゾフィー)の視点から
ひたすら深く捉えている。
その捉え方が難解&現代の合理主義社会と合わず、
とっつきにくく、広まりにくくなっているといえる。
(こうやって書いても伝わらない大きな理由でもある)
でも、シュタイナーの教育学を学ぶと、
本当に「子どもとはどういう生き物か?」が全てのベースになっている。揺るがない根幹、とてつもなくどでかい幹になっている
カリキュラムは確かにあるけど、
カリキュラムはこの「子どもとは?」の答えが完全に一致して作られていて、
教育の捉え方・考え方が、
子ども>カリキュラム
に見える。
そして、子どもや人間の捉え方の奥深さがすさまじい。
社会の要請ではなく、
人間というのはどういう存在で
年齢を基準とした人間の発達的変化に伴い、
そのときに合った学び方で
そのときに必要な力を最大限伸ばし
そのときに人間的発達で考えてクリアしたい課題をクリアできるようにすることで
ゆくゆくは自由を獲得し
幸せに生きていくことを考えている。