もっさんのブログ

子どもたちの明るい「今」そして「未来」を求めて模索中!★留学に向けたこともあれこれ書いていきます★最新記事一覧は、こちらを押してねん↓

横浜シュタイナー教員養成1年目【水彩】

(2年間のシュタイナー教員養成の前半が終わったので、ここで自分のために少しずつふりかえってみる)

その2【水彩】

●透明性水彩絵の具をつかった水彩画。「ぬらし絵」というものをやった。シュタイナーは、まず色の感覚をもつことをとても大切にしている(というか、なんでもとても大切に丁寧に扱い、感覚を研ぎ澄まさせてくれるようにできている)。そして、大前提として、大事なのは「描くプロセス」であり、描いていく中で起きる色の変化や、みずみずしさのある色の美しさを味わうことにこそ価値がある(だから先生は、乾いたあとのものは「抜け殻」と表現していた)。
1年生は単色や、単色同士の組み合わせから感じ取れることを味わう。そして、いろいろな色と出会う。この色が、使っている材もあって大変美しく、奥深い。子どもだましの画用紙や絵具ではない、深みと美しさのある素晴らしい本物の色あいを見せてくれる。「そう、色が生きているんです!!」
はそれぞれもっているエネルギーが異なるし、その受け取りも様々で面白い。2年生は「混ぜる」から生まれるものを感じ取る。もっと成長して学ぶのはゲーテの「色彩遠近法」をもとにした描き方と見方。色が持つ力をこんなに感じ取れるカリキュラムが本当に素敵だし、それが子どもたちの育ちと関連付けられていることにも素直に驚く。
●描き方を教わっても、描き方単体ではまなばない。例えば、真ん中に丸い黄色、周りは青で塗って、次第に青と黄色を混ぜていくだけ、をやるとする。それだけだとしても、「カエルの王子様」のグリル童話を聞いたことで絵のイメージが自然と沸く。描く手順も物語の通り。そして、物語の世界を紙の上で実現させようと、わくわくが止まらない!
「はい丸かいてー 周りぬってー だんだん重ねてー 色変わったねー」
とは大違い!!恐ろしく大違い。混ざる瞬間のドキドキ、「今の色を大切にしたい、でも物語を進めなきゃ、ああ、わたしの黄色の玉(毬)が、ああ~~!!」と。思わず受講生からも声が出てしまう。こんなに描くことにのめりこめるなんて、素晴らしいと思う。この美しい色を混ぜたくない、けど混ぜてみたい。素敵な葛藤。 
●水の流れを先に書き、その隙間に生まれたところを黄色く染めて魚を書いた。流れに自然に合わせて魚を書くから、魚本来の流線形が合理的なこともさりげなく理解してしまう。そして美しい! シュタイナー教育は、本当にすべて美しい。
●一般的な図工を批判的にふりかえってみる。「自由にかく」って、本当に低・中学年に必要なのかな。先生たちですらうまく扱えない「絵の具」を、小学生になった途端からずっと使い続ける必要があるのかな。持ち帰ったらゴミになってしまう、やっても何も身につかない、子どもだましな教材。大人の空想や児童像を「子どもの想像力は素晴らしい」と当てはめて美化している図画工作。本当に子どもはそう思っているでしょうかねぇ。
 ★★転じて★★
社会の要請で教育が決まることは正しいことなのか。早熟型の子が評価されがちな社会構造の問題点はすさまじい。早くできる(年齢が低いうちにできる・目覚めている)=優秀という認識。受験競争も、結局は小さい時に能力が高い子が勝つ。じゃあ晩成型の子は?なんだか、こういうことに早くに巻き込まれる子どもたちがかわいそう。早熟型の子が大人になって、ガス欠する話も聞くし、晩成型の子が、小さいときに評価されず自己肯定感が低い話もよく聞く。大人社会の都合に、子どもたちを巻き込みすぎてはしないか。(加持さんもエヴァ破で言ってる)
「教育の成果はいつ出るかわからない」というが、結局早期の結果を求めているのが現代社会。子どもたちに合わせていない。子どもたちを見ていない。見ているのは大人の都合。その点は、シュタイナーの見ているものは本当に「子ども」です。僕も、そこが本質だと思っていたので、同じ時代に会っていたらシュタイナーと仲良くなれると思う(笑)
 
→関連記事です。