もっさんのブログ

子どもたちに明るい「今」そして「未来」を!あれこれ考えていることを記録中。人類や地球のあり方まで考えちゃおーう!

横浜シュタイナー教員養成1年目【音楽】

(2年間のシュタイナー教育教員養成講座の半分が終わったので、ここまでをふりかえってみる)

その3【音楽】

●まず音楽といっても、いわゆる一般的な音楽の授業を想像すると衝撃を受ける。僕が受けた横浜校では、数あるシュタイナー学校の中でも「聴く」ということに特に光が当てられている。その真意は様々だが、自分感じてきたことをふりかえってみる。
●一年間を通して、
とにかく「聴く」ということに焦点を当て活動
自分・自分たちの中に何が起こったか、どんな発見があったかなどを ふりかえる 
を繰り返していった。
ただし、「聴く」の本質として、「渡すこと」と「受け取ること」があるように感じた。
例えば、サークルになり、ボールを誰か(適当ではない、ちゃんと相手を見て、呼吸を合わせてから)に転がす。受け取った誰かが、また誰かに転がす。
例えば、薄いシルクの長い布を二人でもち、言葉を発せずに息を合わせて持ち上げ、布に合わせて自分たちの手もおろしていく。
こんな活動もすべて「音楽」であり、「聴く」につながっていく。
●もちろん、音を出すもの(楽器というとなんか違う気がする)を使った活動も行った。しかし、すべての楽器が一つ残らず素晴らしい音を出すものだった。
聞けば、音楽療法に使うような楽器であり、ミニシンバルも、ゴングも値段を調べてみたらとんでもなかった!(笑)
でも、あの音を聞いたら、「聴きたい」と素直に思うし、音を大事にしたいとも思うし、音の余韻を味わいたいとも思うし、きれいに奏でたい(音を大切にしたい)とも思う。音を出すものにこれほどの力があると感じたは初めてかもしれない。
●これまでの自分や自分の身の回りの音楽とは、音との出会わせ方が圧倒的に違う。鍵盤ハーモニカの大きな音の合奏、とにかく指使いや曲の完成に焦点化されてしまう授業、「声を大きく、元気に!」が望ましいこととして、どんどん進めていく。
高学年であれば、僕は出会う子たちが、曲の前奏で喋っているのがとても嫌で、「もっと音を大事にしよう。音楽の前奏ってどんな意味があると思う?」と問いかけることがたくさんあった。「ああ、音を大切にしていないなぁ」って思うことがたくさんあった。音を大切にできるような教育になっているだろうか?
●思えば、僕は駅でよくある引き語り演奏が好きではなかった。自分が聞きたいわけでもないのに、勝手に僕の耳から体に入ってくる。音は防げない。だから、「なんて暴力的なんだ」と感じていた。
シュタイナーの音楽講座で目覚めた僕は(笑)今は周りの音がよく聴こえる。車の運転でBGMをかけないことが心地いいって気づいた(車内でかける音が煩わしいと思うようになった)。そして、自分の体が美しい音で整っていくのを感じている。