もっさんのブログ

子どもたちの明るい「今」そして「未来」を求めて模索中!★留学に向けたこともあれこれ書いていきます★最新記事一覧は、こちらを押してねん↓

横浜シュタイナー教員養成1年目【四つの気質→類型論と特性論】

(2年間のシュタイナー教育教員養成講座の半分が終わったので、ここまでをふりかえってみる)

【四つの気質 特に使い方】

 

 僕は大学・大学院と心理学を専攻していた。その過程で一度、心理学が大嫌いになりかけた。その原因の一端が、人の見方に関する「類型論(例:血液型)」と「特性論(例:能力値パラメーター)」の違い。

 類型論とは、「その人を丸ごと いくつかの型に分類すること」。例えば、血液型。「あなたはO型だから大雑把なんだね~」といった感じ。誰でもイメージしやすく、直感的にわかりやすい。人よりも型が先行する。
 特性論とは、「その人を ある要素の組み合わせで表現すること」。例えば、ゲームのパラメーターで、HP40、素早さ30、攻撃力50とかそんな感じ。性格でいえば、「共感性はこれこれで、社会性はこれこれで」という感じ。人のことを詳細に分析できる。

 心理学に詳しい人が、「あなたは〇〇だよね」と人のことを類型論的に決めつけているのが、僕が心理学を嫌いになりかけた原因。面白半分なのだろうか。はたまた、科学の特性として、対象を切りとって分析するから、そういう見方になるのか(大学は研究機関でもあるので)。対人援助職の肝ともいえる心理学に携わる人たちが、人を類型論的に決めつけてあれこれ議論したり、はたまた「あなたは〇〇ね」と押し付けたりしている(マウントとろうとしているのか?)のが、とても残念に見えた。まずはその人がどうであるかが大事でしょって。学問的知識や見方が人よりも先行して、どうやって対人援助ができるのでしょうって。 

 そんな時、大学の外に自分の学びの場を求めて動いて出会ったのが「ポジティブ心理学」の類のもの。病理を扱うのではなく、だれもが人が幸せに生きていくための心理学の分野だった。心理学ってもっと広いものだって知った。また、外の場で出会う人たちには、人を決めるけるようなことはほとんどなかったし、それを楽しんだりする人もいなかった。僕が児童相談所の一時保護所で、一筋縄ではいかない子どもたちと接して、子どもの見方を磨いてきたのも相まって、「その人その人」を見ることをとても大事にするようになった。いうなれば、特性論的な見方だった。

 
 この時僕は「心理学は人を決めつけ当てはめる学問ではなく、相手の背景を理解してあげられる、人を幸せにする学問だ」と解を得ました(結婚式のスライドでも書いたw)

 さて話を「四つの気質」に戻します。
シュタイナー教育では、人間の気質を四つに分けている。
これについて知りたい方はweb検索してください。そのほうがわかりやすい。
 シュタイナーの四つの気質のとらえ方がよいのかどうかはまだわからない。世の中には様々なパーソナリティや気質や能力の分類の仕方があるので。
 
 だけど、確実に僕の中で言えるのは2つ。
 一つは、これを類型論として子どもに当てはめないで、あくまで特性論として見ていくことが大切だということ。四つの気質に分類するのではなく、四つの気質のどの要素が、その子その人にどのように働いて、だからどんな関わり方や援助の仕方が必要かを見極めるのに使うということ。簡単に結論付けて分類するのが得意な人って確かにいる。それはそれですごい。けど僕は、じっくりとその人を見て、また毎度毎度決めつけず見直しながら理解するようにしたい。
 二つ目は、類型論としてみるのであれば、相手に失礼のない形で話し合うということ。確かに、類型論で話すと、その人の対応の仕方について議論しやすい。また、類型論で話すのは、楽しさがある。「私ってこういうタイプなんだよねー」と直感的でわかりやすく話し合うことは、人と共通点や相違点を見つけることができて盛り上がる。ただ、親しい間柄ではない人や、上下関係にある人(相手が下)に対して「あなたはこうだよね」っていうのは、不快感を与える可能性が十分にある。特に、学校の先生などの立場であれば、具体的にある子どもを取り上げて類型論的に見てしまうと、アセスメントミスが起きやすいように思う(あくまで一人ではなく、複数の子供たちを○○という方で見て分析するのであれば価値がある)。よくよく気を付けたい。

類型論と特性論の意識的な使い分けとても大事だ って話でした。