もっさんのブログ

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日本と子どもたちのこれからは…?

久しぶりの西多摩PACE、とてつもなく面白かったです。



学校教育のあるべく姿をとことん見直されました。自分の感じたことを残しておきます。もちろん、賛同することとそうではないことがあるけど、そこについて考える、ということがとても大事なように思います。


・現状の就職活動者は、民間企業の採用試験で「信号機にあと一色加えるとしたら、何色にする?」といわれたら、答えられない人が多い。

事前に準備していたことだけは答えられるけど、それ以外のことを聞かれると答えられない。

それでもがんばって答えようとするけど、そこで考えている答えは、「相手はなにを望んでいるのか」ということ。そう、それができる問いには答えられる。

自分の考えをもったり、それを表現することができない。


・グループを構成的につくるのはなぜ?

つまり、まずできる子をわける。その後に手のかかる子をわける。そして、中間層をえらぶ、そうしてグループをつくるのはなぜ?

社会に出たらこんな分け方はあり得ない。ではなぜこんな分け方をするのか?教師がコントロールしやすいから?

こうやって対立や揉め事を時間や教師の都合を理由に避ければ避けるほど、なおさらグループを作れなくなる。それが一年生から積み重ねていかれると…


・小学校でとくにあることだけど。

宿泊体験活動で考える…

ある課題があり一日目に時間内にそれを20個達成しなければならないとする。やってみて、時間内に10個出来たとする。「ここまで出来たね」で終わりにする。明日は明日のプログラムがあるから、このプログラムは終わりにする。


これを企業で考えると、20個の商品を明日までに作ってくれと注文されて作り始める。その日はどうしても10個しか出来なかった。翌日、できた10個だけ提供する。


こんなことはあり得ない。

もし10個しか出来なかったのであれば、翌日朝早く起きてからでもやるべき。

というか、やらないと今後注文はこないだろう。


では学校教育がそこを容認するのはなぜか。それは本当に正しいことなのか。


・社会性を身につけること、集団でよりよく過ごすことは尊重されとても重視されているが、自分がどうあるべきか、自分がどうなりたいかについて自分で見つめる教育は充分に行われていないのでは。

ここが不十分なのに、主体性がないだの、自分がないだの、やりたいことがないだの、子どもについて言っていていいものなのか。


そしてそんな風に育った人を企業は欲しがらない。


企業はもう、日本人の人材ではなく、海外の人材に目を向けている。

とくに大手企業にそういう傾向がある。採用の仕方が、海外の人材を先に採用して、残りで日本人を、という実態もあるほど。

先の採用試験の例のような人達しか育たない教育システムになってしまっている。

日本は大ピンチである。

でも、教員はその現状知らない。

もうテストではかられる学力で満足している教育は大ピンチ。


・教育について、どこまでの視野をもって臨んでいる?

よりよい就職とよりより生産者になることを考えて教育している?

受験にうかればいいとおもって教育している?

小学校卒業までの間で仲よく過ごせ、テストの点数が取れていればOKだとおもって教育している?

それとも、担任している一年間だけうまく過ごせればいいと思って教育している?




・「発達段階」って言葉には、どういう意味がある?

発達段階に沿って、とよくいうが、発達とは果たして年齢や学年で区切られるもの?それで区切って教育をするということは、本当に子どもをみていることになる?


発達段階とは、年齢や学年でできているものではなく、個人の発達で見ていくものでは?ここまでできたら、次はここまで目指そう、とか。


では年齢や学年とはなぜある?

教える側のやりやすさ?

序列化することで評価する?

それとも、「自分の(クラスの)子どもは周りと比べてとりあえず大丈夫か、遅れているのか」という安心感や危機感を得るため?



とりあえずこの辺で。あとは秘密(笑)




いや〜


日本はピンチです。本当に。