もっさんのブログ

子どもたちの明るい「今」そして「未来」を求めて模索中!★留学に向けたこともあれこれ書いていきます★最新記事一覧は、こちらを押してねん↓

娘がお弁当を作りました

今日、娘が「おべんとうつくる!」と言い、僕は作るのをちょっと手伝いました。

先日のブログで、アナログ大切だなぁと感じたことを書きました。そういえば「弁当の日」と映画がありましたね。とある学校で始まった、子どもが全て一人で弁当を作って学校に持ち寄り、昼に食べるという取り組み。弁当づくりを通して経たさまざまな学び、気づき、変化を映しています。

bento-day.com

「弁当の日」が転じて、「家族の食事を作る」も映画の中では行われています。食事を作る、という家事は、とてもたくさんのことを総合的・複合的に考えています。計画、買い物、手順、すべての完成のタイミングを同じにする、盛り付け、食器と料理との組み合わせ、片付け…まさに、プロジェクトです。

 

教育業界では、「プロジェクト学習」がいろんなところで叫ばれています。でも、本来は、生きることそのものがプロジェクトです。家事を普通に行い、生活を行うこと自体が、すべて複合的思考を要して、実用的でリアルなプロジェクトです。

 

子どもにとって邪魔なものを排除し、子どもに分かる、子どもに扱えるもので大人が生活をすると、子どもたちはそれを覚えてやり始める、なんてことはないでしょうか?うちの娘はそんな感じでした。

 

kawamocho1011.hatenablog.com

 

世の中では、「子どもたちは勉強をすればいい。家事は大人がやればいい。」という、『子どものお客さん化』が多いです。僕もそうでした。「お手伝い」という言葉も、前提として、「子どもは家事の担い手ではない」があります。「子どもは遊べばいい」のは確かにそうなのですが、子どもにとっての楽しみや達成感が「遊び」以外にも、生み出せると思います。生活の中のプロジェクト(家事等)をやらないように仕向け、学習の中でプロジェクトをおこなっているのは、とても非効率で本末転倒な気がします。

 

本当はもっと、掃除して、食事を作って、壊れたものを直して、あったらいいと思うものを作って…そんな生活こそが、プロジェクトの学びなのかなと思います。「弁当の日」は、そんなことも改めて気づかせてくれました。

 

「家で家事をさせたいけど、しないんです!」という意見が聞こえてきそうです。この問題は結構根深いように思います。仕事で忙しすぎる、家や世の中に他の誘惑が多い、家族同士や友達付き合いによる障壁、夫婦の理解関係など・・・。(ここでも、資本主義社会が大きな影響を与えているように思います。わかりますか?)。ゲーム機やタブレットのおかげでやっと自分の時間ができる親もたくさんいますからね。この社会の仕組みが、やはり子どもにとって大きな問題に感じます。

 

我が家では、自分がそういう住まいでいいと思ったから、余計な「便利なもの・誘惑的なもの」はあまりありません。テレビもないし、おもちゃらしいおもちゃも多くありません。でもその分、子どもはよく工夫して遊んでいるように思います。生活の物を使って遊んでいます。たぶん。また、家事によく参加してきます。唆すことはありますが、やるように指示したことはないです。だから、気持ち良い関係でやれてるのだと思います。

 

子どもの見ていないところで家事をやるのは、もったいない!ということで、なるべく目の前でやります。掃除機よりも、ほうき。食洗機より、手洗い。やり方もよく見ているし、子どもでもできるから、参加してきます。ま、ほかに楽しいことがないから参加してくるのかもしれないけど・・・(笑)

 

話が大きくそれましたが、娘がお弁当を作りました。よっぽど嬉しかったみたいで、家の中で持ち歩き、何度も作ったことを喜んでいます。卵焼きはもうほぼ一人で作れるし、家族にふるまってくれています。困ったときは、食器だって洗ってくれます。大人は一切頼んでません。ありがとうの気持ちを伝えるだけです。素敵です。え?「いつまで続くかなぁ~」ですって?さて、どうなるでしょうかねぇ。

おかずは写真の外にあります。小分け容器の入れ方も試行錯誤して楽しみました。