もっさんのブログ

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「向き合って」もらえた子どもはちょっと違う

先日、子どもたちを「見守る」ということについて書きましたが、今日は、子どもと「向き合う」ということです。「見守る」一方で「向き合う」が大切、そんな話です。

 

kawamocho1011.hatenablog.com

 

ある男の子がいました。彼は、子ども同士の中でも特定の遊びがとても上手で、友達や年下の子からも一目置かれていました。カリスマ性があったのですね。

 

彼は教育関心の高い、子どもへの愛のある親に育てられました。親は、彼の興味や関心を尊重し、なるべく子どもたちの中で起きることには介入しない方針だったようです。「子どもにはよくあることだから…」「子どもの中で起きていることだから…」という言葉をよく聞きました。幼稚園も同じ方針で、できるだけ「見守る」ことを続けてきたようです(「見守る」なのか「放任」なのかはわかりませんが・・・)。

 

その結果、なのでしょうか。彼には大きな課題を感じます。「○○くんはいいよ。△△ちゃんはだめ。」と、友達を遊びに入れる・入れないを気分で決めます。。なんでもうまくいかないと不機嫌になって、当たり散らします。でも、彼はカリスマ性があるので、周りの子どもたちはみんな彼に忖度をしてしまいます。もちろんそんな環境ですから、彼は天狗になってしまいます。子どもたちも、彼の怒りや反論が怖かったり、カリスマから嫌われるのがこわかったりで、不満を言えず我慢します。泣くだけ、もあります。彼は、子どもたちからどう見られているかは分かっているように思えません。

 

彼は、自分が大人に注意されるということに非常に敏感です。友達との関わりで、自分でも「まずいっ」と思うことをやると、ちらっと大人に目を配ります。注意するような言い方ではなくても、「ちょっといい?」というと、はぐらかして逃げようとします。特に親と二人になると、わめき散らして自分のわがままを通そうとします。

 

彼の課題をしっかりと指摘した人はいたのでしょうか。
彼の今の現状を受け止めてくれる人はいたのでしょうか。
彼の悩みを聞いてあげた人はいたのでしょうか。
彼を心配して、抑えきれないような想いをもって話しかけてあげた人はいたのでしょうか。

 

彼は、きちんと向き合ってくれる大人に出会ってきたのか、気になります。僕が言う「向き合う」というのは、『子どもが自分の課題に向き合えるように(そして大事なところは逃がさないように)、大人も正面から見てあげること』でしょうか。『相手の望みや課題に正面から向き合い、時には一緒に悩んで時には解決策を示す』とも言えます。

 

経験上、きちんと向き合ってくれる大人が少なかった子に、こういうケースが多いように思います。ちなみに僕は、子どものころはあまり向き合ってくれる大人に会っていません。僕も回避癖がありますから。でも大人になってから同僚や先輩に向き合ってもらえた幸せ者です。大人になってから向き合ってくれる人は、なかなかいないですから。

私たち大人は、「向き合って」あげられる人でいたいですね。

子どもたちは、放っておく大人を信用しません。きちんと言うことを言ってくれる大人のほうを信頼します。大人がその子のことを思っていて、そのためにアクションをしてくれているのは、子どもたちは見ています。向き合ってくれる大人と、そうでない大人のことをよく知っています。

そして、このあたりが、「見守る」という関わりを大切にする中で、特に気を付けたいと思うことです。

 

もちろん、「向き合う=強く言う」という意味ではありません。でも、熱量が大切なときは大いにあります。想いは伝わりますから。子どもの課題を放置するのではなく、愛をもって、時には介入もしながら見守ってあげる感じです。実際「叱ってもらったことでわたしは変わった」という大人によく出会いますしね。そして、最近よく聞く「ほめない・叱らない」という方法も、テクニックとして表面的に扱わないようにしたいものです。常に淡々と関わっても、子どもには届きません。その本質に目を向けていきたいですね。

 

きちんと向き合ってもらえたら、人は変わります。特に子どもは変わりますし、変われます。人ときちんと向き合うことも覚えてくれます。ただし、何事もやり過ぎはよくありませんね。いつも正面から向き合ってこられたら、さすがに…ね。

 

最後に、話を学校現場で考えてみると…学校は、どうしても授業の研究や研修がほとんどです。こういう子どもとの向き合い方は、いわば口伝(口頭伝承)で伝わってきた部分が多いと思いです。でも、今は早く帰ることが目指され、若手は向き合い方を教わることが難しくなったのではないでしょうかね。きちんと、子どもの育ちを話し合う場はあるでしょうか。