ご報告が遅れました。
第24回湘南PACEの活動報告です。
今回は「対話型美術鑑賞」ということで、平野智紀さんを講師に迎えて学びました。
最初に一つずつ、人物像・人物画を見て感じたことを参加者主体で話し合いました。
その後に、理論的な背景を押さえつつ、次第に話は
「教科としてどうあるべきか」
「評価はどうあるべきか」
「そもそも表現って」
そんな話になっていきました。
詳しい内容は、参加した人だけのお土産。
でも、参加した数人でこんな話になりました。
1
自分が感じたことを表現できるできないで、大人になってからの幸福度って違うよね。
学校だけで鑑賞力を磨くってしんどい。家の環境もある。
でもその差がなくなればいいなって。自分はわりと損してきたかも。
2
器(椀)の話だけど、器って正直、百均の器でも十分食べ物をのせて食べられる。
でも、作家の人のこだわりとかそのために費やしてきた作業や時間を、器を使うことで一緒に味わうことが出来る。
ただの白ごはんでも、そういうことを考えると幸せだなって。
3
金持ちの人のほうが、表現や鑑賞する力が高いっていうけれど、私は色々な人がいるところのほうが、色んな意見があっていいと思う。そのためにも、対話による美術鑑賞をすることが大切だと思う。
家の中でもできると面白いなって。
4
建築の仕事で考えると…お金のある人、ない人でも、やっぱり中身のちがいはあって、「ああはなりたくない」って人もいる。お金をもつことは大事だけど、そのために努力も必要。でも、なくても、ないなりのやり方次第。その人が大事にしたいもの(ライフスタイルとか)次第かな。それを(建設)業者に伝えないといけない。
本質は、イメージのほうが伝わる。本人(お客さん)が分かっていないものも多いけど、理想のイメージの写真があれば写真で考えられる。写真だと伝わる。こちらもつかみとれる。
こちらも、お客さんが何を大切にしたいかを知ることに最も労力をつかう。
最初のイメージをつかみとるのが最大の仕事。
お客さんの本質をお客さんに気付かせる。
たとえば「青が!!」 でも、どの青?
5
もやもやしたままのときって心が不安定だけど、人と話してみるとうまく言葉に出来て、もやもやしたことがすっきりしていくことがある。カウンセリングもそういうことが要素としてあるし、言語化にも価値があると思う。
6
作品は見る人が育てていくっていうところは、絵も文学も同じだなって。
作品はそのまま変わらないけど、その人の見る時(年齢、時期)によってどうみえるかが変わる。その人の心で何千色にもみえ方がかわってくるって素敵。
7
鑑賞の仕方で人生が豊かになるのはよくわかる。色々なもへの考えや見方が深まる楽しさがある。友達と共有することで、経験も全て関係なく、貧富の差も飛び越えるイメージ。
8
わたしは奈良美智さんの作品は、以前は幸せな作品に見えた。でも今回は見えなかった。自分の子どもに対する視線が変わったのかも。
→そうやって自分がなぜちがう見方になったのかを考えた。見たつもりにならないためにも。
9
例えば生活していてすごくいい感性をもっている子でも、自分が感じていることを言葉にできないがためにゆがんだ形で出してしまう子っているよね。そういう子にとって、言葉にすることってとても大切だと思う。
10
わたしは正直、今日の鑑賞はしんどかった。考えが上手く伝えられない(タイプ)だから。できる人で進んでいくなって感じた。
例えば、少人数で話すとか、そういう時間が少しでもあったらよかったなって思った。
以上です。
(もうこのおじさまのことが頭から離れない…)
さてさて、ところで募集かけたときにかいていたことです。
平野さんは、ちょこちょこと、作品にかんする情報を参加者に伝えていました。そしてある程度方向性も作っていました。でも違和感なかった。
やっぱり、いろいろな解釈をするための情報だったからかな。
一つの解釈にたどり着くための情報ではなかったんだよね。
そしてそれを体験できたのが、今回とてもうれしかった。
以前から感じていた「ファシリテーターになる」って言葉。
ファシリテーターになることより、
ファシリテーションを使うことが大事であって、
結局どの場面でそれを使うかなんだよなって。
今回の内容とどこかで繋がっているなー
対話を用いた鑑賞だけど、絶対のルールはない。
学校の授業だって、唯一絶対の授業はない。
指導案は計画であって、結局その場の子どもを見て何をするか変えていかないと。
先生の専門性ってそこでしょ。
結局、何をねらって、何をするか、だよねー。
平野さんありがとうございました。
そして、会場準備や大事な問いかけをくださった有元先生、ともに学んだ参加者のみなさん、ありがとうございました。