もっさんのブログ

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横浜シュタイナー教員養成講座 最終ブロックふりかえり

まず、2年間の講座、本当に素敵な時間でした。
教育云々の前に、僕の人生に新しい知見、心の揺れ動きを与えていただきました。
シュタイナー教育、何かよい感じがするぞ」と匂いにつられてやってきて、大正解!
素晴らしいものがたくさんありました。
そして、横浜シュタイナー学園先生方、そして私たち受講生の横のつながりもとても大切に考えてくれて、とてもよい仲間と学べた2年間が素晴らしかったです。

世界にはまだまだ僕の知らないことがたくさんありますね。それが本当に楽しみ!と思わされました。美しいことも、世界の見方も。

 

 

 

【十二感覚論】
シュタイナーは、人間には12の感覚があると述べています。順に、
  下位感覚
1 触覚…………触られている感覚。自分と世界との境界を感じる。
2 生命感覚……自分の身体の快・不快、痛み、かゆみ、気持ち良い・悪いなど。
3 運動感覚……自分の動きを感知し、自由に動かす感覚。
4 平衡感覚……重力のある場で自分の位置を感知する感覚。
  中位感覚
5 嗅覚…………臭い・匂いを感知する感覚。
6 味覚…………味わう感覚。
7 視覚…………見る感覚。
8 熱感覚………温度を感知する感覚。
  上位感覚
9 聴覚…………音=物質の本質を感知する感覚。
10 言語感覚……他者の言語を感知する感覚。
11 思考感覚……他者の考えや物事の意味を理解する感覚。
12 自我感覚……他者の自我を感知する感覚。

 新鮮だったのは、人間の最も原初的で一番最初に感じる感覚が「触覚」であるということ。何かに触れる・触れられるということ。赤ちゃんは、人間に触れられることで安らぎや安心を感じるのは、まさにこの触覚があるから。よく、「乳幼児期に母親にたくさん触れられて育った子は情緒が安定していて、社会性に優れ、他人を攻撃する傾向も低い」とか「触れることで脳が発達する。皮膚は露出した脳だ。」とも言われますが、触れるということがとても大切なことがわかります。そしてその感覚が生まれたばかりの(いや、生まれる前の!)赤ちゃんが持っているということが、とても啓示的に感じます。「触れる」という行為の意味ととも、日本と他国の文化の違い、現代社会の「触れる」の対する認識など、様々なことを考えさせられました。
 触れるということに関して、赤ちゃんを包んであげる国?部族?の話があげられていました。うちも、子どもを包む子育てをしてきました。包まれると子どもは安心し、よく眠りました。包まれたときに口元に自分の手が来て、それをペロペロとなめていたことを思い出した。ここにもきっと、シュタイナーの見えているものがあるのでしょうね。
 また、面白かったのは、「視覚は騙されやすく、聴覚は最も真実に近い」ということです。視覚は遮断できるけれども、嗅覚や聴覚も遮断できない(できにくい)という点も面白かったです。
今回の講座では、時間的に紹介で終わってしまったが、この十二感覚を知っているとどんないいことがあるのかは、これから自分で学んでいきたいと思います。

 

人間学
全然まだまだ、人間学の入り口でしかないことをとてもよく感じます。ですから、その先を知りたくてワクワクします。
本の中に次のような記述がありました。
「人生や世界の個々の事象については、子どもと共に成長するように概念を与えなければなりません。しかも、その差に皆さんは一切の事象を人間に関係づけるようにしなければならないのです。一切のことは、最終的には子どもの理解の中で人間という理念に合流しなければなりません。…そのようなときに、みなさんが子どもに与える一切は、その個別の相において全世界と人間を結び付けるものなのです。」
なぜ 人間と結び付けないといけないのか?という点については、全くもって解を得ているはではないですが、人間と結び付けるとどんないいことがあるのか?について、講座のの中で体験したことをもとに考えてみます。
 その1 個々の特徴を理解しやすい。例えば、動物であれば、人間のいうところのどこが発達したり退化?したりしてその形態になったのかを考える。すると、動物たちがどのような生態を送るのか、どのような習性をもつのかが理解しやすい。植物や鉱物も同じ。
 その2 個々の生き物ではなく、全体としてつながりを持って理解しやすい。「人間に結び付けてみる」というフィルターを通すので、共通項を見出だしたり分類したりしやすい。講座の中で乳児を菌類(キノコ)、乳幼児を海藻類や地衣類、シダ類、コケ類に見立てていた。ただし、この見立て方がどこから来ているのか(いかに人間といえど、乳児!?と思うようなこと)は、今回の講座では深く触れるに至らなかったので、この先もっと知りたい。四季よって色彩が変わり、それが様々な生物に波及していることも面白かった。
 その3 美しい。その1、その2とすべて含めて、世界がつながりをもった有機的な存在として見える。まだまだ入口であったが、すでに感じとることができた。算数数学の世界や音楽の世界などとも有機的なつながりがあることは、講座を受けてきた自分にとってすぐにわかりました。それぞれが独立して切り出した教科や学問ではなく、すべてが一枚の大きな紙に描き広げられるような感じがします。そうやって、世界全体が見えてくるような気がします。

 

 

【教育の基礎となる一般人間学
 すみません、おそらく10%も理解していません。
そして、一番肝心なところが落とし込めていません。シュタイナーが教師として大切なことを伝えるために、おそらく、肉体的な3層構造のことを述べているのだと思いますが…最後に結論的に「ファンタジーで満たしていくのです!」のように述べていますが、全然わかっていません!結論に驚いています。いつ置き去りにされたのか…。

人間には、外形的肉体的な三層構造があり、頭部、胸部、四肢に分かれている。頭部は霊性を、胸部は心性を、四肢は肉体を意味している。
 それぞれの部位にも、頭部性、胸部性、四肢性が区別されている。
 肉体的な完成度は、高い方から順に、頭部、胸部、四肢。
 目覚め度(ここがとてもシュタイナー的な捉え方)は、高い方から順位に四肢、胸部、頭部。
 本の中ではこんな話が展開されていました。今回、その内容で少しだけ自分なりに解釈でいたところを述べてみます。
 とにかく、四肢は目覚めているのだから、目覚めているところからアプローチすることで、他の部位がより正しい形で目覚めやすくできるようにすることが、教育の目的なのでしょうか?そうであれば、頭部、胸部よりも、目覚めの早い四肢を使って、胸部や頭部に働きかけているのがオイリュトミーなのであれば、オイリュトミーを行う意味が分かってきたような気がします。
 悔しすぎるので、また勉強していきます。

 

 

【オイリュトミー】
2年間、素晴らしい時間を過ごさせていただきました。最初のころ、オイリュトミーを表現活動のように捉えていた自分がいましたが、今の自分は全くそう思っていません。逆です。美しい音の中で、世界や自分を感じながら体を動かすことで、自分の中に入ってくるもの、または、自分の中か出てくるものに浸り、霊的心的肉体的な、浄化のような錬成のようなものが起こるっていくものでした。僕の中では、美しさを追究するすることは望ましいことですが、見せるためにやるのは違うかな、という解を得ています。美しさを目指すことで自分たちに得られるものが、オイリュトミーをやることに意味に感じました。

 

 

【劇づくり】
 協同で何かを作り上げることは、互いの関わり方に大きな意味を持ちます。教育上、これらを意図的にプログラムすることは、日本中の学校がずっと行ってきたことでした。一方で、コミュニケーションにおいては量よりも圧倒的に質を目指され、テクニック的に関わり方を「教え」始めるようになったのもここ数十年でした。実際に子ども同士が向き合って何かを創り出す活動は、成果を数値化できないから隅に追いやられ、学力として図れるものが重視され、働き方改革の波もあって尚のこと減っていきました。
 シュタイナーの学校では、いつもそういった周りのものに流されず、大事なことはぶれずにあり続けられることに、「強さ」を感じます。この劇づくりも、そういったことを感じさせてくれる一つの学びだと思いました。
 また、互いの関わり方だけでなく、年齢に合った発達上の課題を克服するためにも劇が組み込まれているところが、本当によく考えられているなと思いました。
 劇を見合って、本当に楽しかったです。劇には、映像にはない匂いや空気感、完成度とは違うライブ感が味として生きいて、心に染み入るように見ることができました。自分たちも行ったからこそ、他の劇にも入り込んでみることができました。劇、いいですね!

 


【音楽体験】
 音楽の授業は毎度毎度本当に素晴らしい時間でした。
 今回も、全ての歌が素晴らし過ぎました。人の歌声だけで、あんな空気を創り出せるのですね。知人の音楽の先生が、「最も美しい楽器は人の声です」と言っていましたが、自分なりにこの講座での体験はそのとおりでした。音がきれいということよりも、人の力、人が声を合わせること、声のもつ霊的な力など、トータルに言って最も美しい楽器だな、と感じられました。
 先生の歌声もいつも聞いていてうっとりしていました。ずっと聞いていたい声です。先生の声がきれいって、やはり権威ですよね。
 (前回お書きした、音楽教室に行った件の後日談です。別の音楽教室にも顔を出した時のことです。その方は音楽教室自体もまだ開いたばかりでした。専門はチェロですが、生徒が限られてしまうので、ピアノ教室をメインにされているとのことでした。今でも方々で演奏することもある方ということでした。教室にお邪魔してとてもよかったのは、教室の部屋の環境がとても落ち着いていたこと、教室サイズにピアノの音量があっていたこと、先生が言葉よりも音楽で語る人だった(ように感じた)こと、そして現役の演奏家であったことです。教室の最後に、チェロを生で聞かせていただきました。そのとき、「ああ、僕は子どもに、演奏を楽しんでいる人の演奏に触れてほしかったのだなぁ。」ということに気が付きました。演奏としてテクニックよりも、音楽を楽しんでいる人の音楽を味わって、その中で音楽を好きになってほしいということでした。ただし、これは音楽のスキルが向上しにくいのでしょうかね。この辺はいいバランスを探したいものです)。
 最後の歌のプレゼント、ありがとうございました。魂がふるえました!