早熟な人と晩成な人と。資本主義の枠の中で・・・
「コテンラジオ」ってご存じですか?
歴史上の偉人とともに、その押しポイントを主観をたっぷり交えて面白く語り合うラジオです。僕はAmazon Musicで聞きました。面白いです。
その中で、「偉人は結構、晩成型が多い」という内容のトークが面白かったです。そう、人が輝く瞬間は、人生の中でいつかはわかりません。そんなことを偉人をもとに紹介されていました。
さて、早く学力に開花した子が評価されるのが良いことなのか。
その良し悪しについてあれこれ考えています。
みなさんは、自分が開花したと思ったのは何歳ごろですか?
僕は18歳です。それまでは、創造的な思考が全然できなくて、アイデアの出る人をうらやましく思っていました。物事を比喩で表現する友人にもあこがれていました。勉強はそこそこできたけど、自分が人より優れたところが少ない人間だなと思っていました。それが、18歳ごろを転機として一気に変わりました。今はこんなに出るんだもん。はっはっはっ。理由はわかりません。
学力で上下が付く評価の弊害は言うまでもありません。何をどう美しく語ろうが、小さい頃に能力が開花した子は、とても高い評価を受け(受験で勝ち組になり)、その後の人生で社会階層の高い位置に上り詰めていきます。そういうシステムになっています。
ところで、資本主義のシステムの中では、人間は工場のロボットとよく似ています。資本主義(つまりお金を生み出すため)にメリットの大きい(利潤の高い)人間こそ求められ、評価されていきます。人間への見方がロボットと同じに見えるのは僕だけ?資本主義社会に都合のよいロボットを生み出すための仕組みができているように見えてきます。高度経済成長期に限らず、今の社会でも結構そう見えます。「SDGsな社会を作ろう!」と教育が頑張っても、社会は資本主義の流れで大量生産、大量消費、経済優先の環境破壊、富の格差拡大ですね。
じゃあ、ゆっくりと素晴らしい花を咲かせるような人は?
早くに花開かなかった子は、どうなるのでしょうか。花が開く時期に対して、社会はどれくらい開かれているのでしょうか(許容し受け止められる形があるでしょうか)。最近はそんなことを考えています。
突然ですが、ドイツの教育システムに話が飛びます。ドイツでは、小4年生が終わる時点で、
簡単に言うと「総合大学(University)」「専門大学」「職人学校」等の、どこに進むのかが決まります。もちろん、学力でも決まります。早々に自分の人生が決まってしまうかのような選択に迫られるわけです。
でも、見方によっては、いわゆる学力で花開くことがなかった子は、その競争から早めに逃れ、自分にあった道に進むことができるのかもしれません。そういう意味では、無駄なエネルギーを割かずに、幸せに過ごせるのかもしれません。
どっちがいいんでしょうね(二元論に持ち込みたいわけではありません)自分に合ったものを見つけられるか。それは本当は何歳だっていいのでは。でも、子ども時代に割と決まってしまいがちですね。
このシステムも、資本主義的な発想から来ているのでしょうかねぇ。早熟な子が評価され活躍していく教育システム…
・・・そういえば、学習指導要領も、かなり経済界からの要請でその内容が決まっていましたね。今はどうでしょう。