公立の学校は職員の異動がたくさんあります。
これがメリットでもあり、デメリットでもある。
特に学校教育目標は、作ってもその作り手がいなくなるので、
だんだん思いが受け継がれなくなっていく…
もちろんそのための対策も考案中ですが、
まずは今いる職員も、
異動で新しく職員も、
本校の一般的とは少し違う形の学校教育目標のフレームの意図を
共有するために、
「●●小学校教育目標のガイドライン」なるものを
作成中です。
ここには、
「作った目標が形骸化しないため」
「作った目標がどうやって子どもや教職員などの中で生きて、生かされていくのか」
の提案もされています。
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さて、実はこれを作成している時に偶然、
とある先生に話しかけられました。
「川本さん、実は、僕、「目指す子どもの姿は本当になくてもいいのかな」と思っていたんです。けど、今日子どもたちの姿を見ていて、今回作った「目指す学校の姿」のほうがいいって思ったんです。」
と。
子どもの姿より、学校の姿をイメージしたほうが、子どもたちはしっくりきたよう。
子どもたちは、先生たちと一緒に作ろう!と思えたそうです
もし「子どもの姿」だと、なんだか自分たちの姿だから固くプレッシャーのかかるものしてのしかかり、ワクワクしなかったんじゃないかと。
「ぼくああなりたい!」って思わないだろうなと。
↑
同僚に言われて僕も納得しました。
例えば僕らが
「目指す先生の姿!」と掲げられても、
僕はあまり納得しないし
そんな限定的なものじゃないし
かといって抽象的過ぎてもよくわかんないし。
どれに決まっても
たぶん納得しないかなぁ。
だって、寄せ集めとか、
みんなの合意とかじゃなくて、
自分がなりたいものがなりたいものだから。
そう考えると、
「目指す子どもの姿」って
子どもにとって全然輝くものに見えないし、
いやらしくなりそう。
「学校の姿」だったら、
なんだかみんなで向かっていく感じがするし、
自分の姿というプレッシャーじゃなく、
自分達が幸せに過ごせるための場を作るイメージなので
嫌な感じしないですよね。
納得。